待合室で感じるピリピリ感あるいは緊張感。これはおかしいなと思うクリニックがありました。「ありました」と表記するのはいまはもう通院していないからです。
幼児期のこどもと待っている間,こどもが大きな声を出したり,走り回ったりすると冷たい視線(を感じるような気がする),あるいはそれに似た空気を感じる。受付職員の対応には笑顔(感情表出)がなく(無理に笑顔をつくってほしいというのではなく,コミュニケーションのなかで自然に生じる表情の変化みたいないものもなく),こちらからの発信の受信を遮断しているような断絶感,患者とのコミュニケーションを避けている印象がありました。院内の貼り紙の文言の表記も「〜はいたしかねます」とあり,何かをお願いしたり希望を述べたりしづらく,させないように釘を刺されている心境でした。
すべてを患者に合わせるのは大変だと思うので,100%合わせる必要はないと確かに思いますが,このクリニックから受ける患者に対しての対応は,何だろう……。対応にゆとりがないというか温かみがない。ルールの枠に隙間なく従い,ルール以外のことは不要といわんばかりの空気。
ただ,医師の処方は的確で親身にこちらの言葉を聴いてくれるので,我慢して通院していました。また,毎回,処方薬が多いので,会計時や薬局で足りない薬に気がついたり,受診時にいい忘れていた薬があり,あとから追加で処方してもらうことが度々ありました。薬局の薬剤師には医師の処方箋から逸脱する行為はできないので,医師に折り返し連絡することとなり,そのこともクリニック側からかなり嫌がられていました。薬によっては薬剤師のほうが作用機序についての理解は深い場合もあると思うので,このあたり医師の権限の一方的な比重の大きさは何とかならないものかと思ったりしますが……。
仕事を抱えながら保育園の送迎をかけもつことは珍しいことではないとは思います。ただ,だからといって,それが難なく負担なくこなせる行為かというとそうでは決してありません。大変なことには変わりなく,これに通院が絡むと負担は当然増えます。時刻どおりにこどもを連れてクリニックに到着することは大事なことだと思いますが,雨が降っていたり(降雨時のカッパ着用での自転車走行は視界の不具合等があり労力をかなり使います),仕事が長びいたり等の理由で診療時刻に間に合わないことも確かにありました。それは申し訳ないと思いますが,あるとき,事前に診察券を出し,その足で保育園に向かいこどもを受け取りクリニックに向かった結果,受診時刻を数分すぎたことがありました。エレベーターは乗車できなくなっており(ボタンを押してもエレベーターが起動しない),電話も診療時刻外を通知する機械音声のアナウンスで連絡が取れず,やむなく翌日に診察券と保険証を取りにクリニックに行ったとき,「もううちでは無理なので他の病院にいってください」と言われました。
この一言は計り知れないショックを私に与えました。医師の判断なのか,受付職員の判断なのかわかりませんが(診察券と保険証を職員が保管していたようなので,おそらく医師は関知していないと思われます),この拒否,否定は「見捨てられた」ような深いショックを受けると同時に立場の弱さをはっきりと実感させられました。その後はメンタルが不安定になり,仕事も集中できなくなるような状態が散発しました。県の相談窓口に,そうしたクリニックに指導等の処置はできないものか相談もしましたが,そういうことはできないので他のクリニックを探すか謝って通院し続けるかのどちらかで対応するよう諭されました。「相談」しても「説得」される。余計に心は乱れました。探すといってっも,その領域の診療科のよいクリニックはなかなかなく,妻がやっと探しあてたクリニックなのに,また探すことの大変さが全然わかっていないことに改めて傷つきました。また,立場の弱いほうがさらに謝らなければならないことに憤りを感じました。
想いが入り乱れまとまりがなくなってしまいましたが,気持ちの整理がつかないことは無理に整理することはないのかもしれません。きっと死ぬまでの人生のどこかで思わぬ契機で(あるいはその契機によってジワジワと長い年月をかけて徐々に)整理がつくのかもしれません。
また,逆にとても救いとなっているクリニックも勿論あります。今度は機会があればそのクリニックあるいは別の施設の先生方にについても綴ることができればと思います。
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