5歳になった息子は,さまざまなことに興味をもちはじめ,「これは何?」「それは何?」と質問が止まりません。すぐに返答できないこともあり,普段当たり前に思っているものほど,敢えて考えることがない分,改めて「それって何?」と聴かれると答えに窮してしまいます。「えぇと,ちょっと待って」と咄嗟に口をついてでるものの,そのままうやむやにしてしまうことも結構あります。よくないなぁ,と思いつつ……。
そんな息子と出かけると,突然走り出すことが多く,走る方向もあらぬ方向が多く,大きな声で呼び止めようにもまるで聞いている様子はなく,捕まえようとしてもすり抜けられてしまい,そのまま走ることに夢中になってしまう。子どもはそういうものだと思いつつも,駅の狭いホームとか道路や交差点付近だと恐怖のあまりつい大きな声で怒鳴ってしまったり,乱暴な言葉もついでてしまい,力任せに腕をつかみあげてしまうことがあります。
後で気持ちが落ち着いてから思い返すと,もう少し穏やかに対応できないものかと思い悩んだりします。大きな声で怒鳴ってしまったとき,腕を力任せに強引につかみあげたりしたときの,子どもの表情。それまではしゃいでた表情がサッと消え,ハッとおびえた表情,驚いた表情に差し替わる。その表情の変化の瞬間が脳裏に焼き付いて,暫くはその表情が意識から離れません。とてもいたたまれない気持ちになります。少し後になってからジワジワとダメージが蓄積されていく感じです。
そんなことが何度もあると,自分には親としての適正があるのか疑わしい気持ちになります。いずれひどい虐待へとエスカレートしていくのではないかと自分への不信感が募ってくる。つい怒鳴ってしまったりするときの少し前からはじまる,心が感情の渦に引きずり込まれるような感覚。私自身に気持ちや状況等に余裕がないとき,あるいは不満に感じたシーンが思い起こされることが多いときほど,この感情に引きずり込まれやすいです。
そうした感情に引きずり込まれないようにするためには,気軽に愚痴をこぼしたり,他愛もない雑談ができるような仲間の存在が大きいと思います。それと人から必要とされている感覚,役立っているという実感,これも必要なんだと思います。迷惑をかけちゃいけないと,つい自分一人で抱え込んでしまったり,我慢や頑張りだけになったりそれが蓄積されてくると,心が地面に両手をついて四つん這いになったような状態から動けなくなるような感覚になります。
自分がふさぎ込んでしまいそうになるとき,あるいはふさぎ込んでしまったとき,何のためらいもなく興味にあふれた明るい表情で「これ何?」と息子に話しかけられると,体が何か熱いもので包み込まれスキャンされるように心がときほぐされることがあります。こどもにはその瞬間・瞬間で(少し前のことを引きずらず)行動できるすごさがあるのだなぁと感じます(これも何歳までかはわかりませんが)。
通りすがりの見知らぬ人でも,「バイバイ」と手を振るこども。その場かぎりとはいえ,その瞬間のその場の人は心が少し満たされ,私のほうも「どうも」みたいな感じになり,つかの間のコミュニティが生まれる。こどもって社会にとても必要なんだなぁと,こんなとき改めて思います。
自分にとって心のバランスの補正となるような仲間は私のまわりにはいまはあまりいません。そのため,不安定な状態が多いのかもしれません。何かちょっとつまずいただけで,すぐに不安になったり,一歩先をふみだすのがこわくなる。そんなときどうしたらよいのか,いまもわかりません。そのために何か大事なものをみすごしたり,気がつかずに放置してしまったりしているのかもしれない。ふと,そんなことを考える日々がつづいています。
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