夜,駅のプラットフォーム

日曜日の夜。幼い息子を自転車の後ろに乗せ,私鉄駅のフォームと並行に走る道路をよく通る。日曜日はファミリーサポートの方の家に息子を預かってもらうことが多く,そのお迎えの帰り道によくこの道を通る。夜の駅のフォームの佇まいが好きで,少し遠回りだがここを好んでよく通る。

息子が1〜2歳の頃は,電車が通ると「カンカン」と言って喜んでいた。「カンカン」は踏切の音。電車が通り過ぎるとよく手をふっていた。その姿と夜のホームの照明が放つ,その控えめな存在感。その光景がたまらなく愛おしく感じた。

その息子もいまでは5歳になり,もうすぐ6歳となる。もう「カンカン」とは言わないけれど,電車,特に新幹線はいまでも好きで「格好いい」と言うまでに成長した。そして,自転車で駅のそばを走行中,私のジーパンの尻ポケットに差し込んである携帯を抜き取って電車を撮るという「技」までみせるようになった。

いつかその写真を,私はかけがえのない想い出のひとつとして眺めるのだろうと想像すると,さみしいような嬉しいような,そんな気持ちになる。

ひっそりと照らされた夜のフォーム。誰も座っていない椅子。腰掛けて一息ついてる人。通り過ぎる通過電車。停車してドアが開き,閉まる。安全を確認する駅員の方。その光景もかけがえのない情景に変わってゆく。夜のフォームには何かの感覚を呼び覚ます,そんな魅力があるといまでも思っている。

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