共働きで子育てをしていると有給休暇の減り具合がとてもはやくて途方に暮れます。足りなくなると欠勤扱いとなり,そのうえ時短という状況下で収入はどんどん減り,仕事の時間も制限され,焦る自分に能力のなさも加わり嫌気がさします。こどもがかかる感染症も厄介で,その感染は家族を一巡するので休暇が増えます。せめてこのような場合,手当があればと天を仰ぎます。あるいは,在宅勤務扱いとなればかなり助かるのですが……。
かつて(独身の頃),自分の裁量で1日の時間を自由に使えたときは,仕事の期日に間に合わせるために休日(土日・祭日)も作業期間の勘定に入れていたくらいなので,そのときに比べると極端に制約があるのは当然ですね(いまはこうした働き方があまりよいとは思いませんが……)。
こどもが生まれる前くらいから通院の付き添い等により休むことが多くなり,出産以降の年では有給休暇が毎年全然たりなくなってしまいました。たりない分は欠勤扱いとなり,加えて時短勤務のため収入も減り,このときになって漸く有給休暇の社内規則が子育てに対応していないことの重大性にはじめて気づきました。
かつて,仕事に夢中で没頭し仕事中心のライフスタイルだったころの私は,その生活に疑問どころか,誇りとやりがいもかなり感じており,優先事項は目の前にある業務をこなすことでした。それだけに,こどもが生まれた直後は仕事がほぼまったくできない状況(時間がとれない状況)に,内心パニックになりました。
出産後数日くらい(妻の退院前)まで,育児の重要性と大変さをまったく認識していなかった私は,いまかかえている仕事をしながら育児も「手伝える」と大きな勘違いをしていました。この「手伝う」という認識も大きな勘違い(自分のこととして考えていない)とその後気づくのですが,そのことはまたの機会に述べたいと思います。
そして,出産直後,勤め先の会社には男性の育児休暇なる制度がなかったので(いまもない),その時点で残っていた有給休暇をつぎこんで,当時の私なりの精一杯の育児休暇のつもりで(土日を含めて)3週間弱休みました。そして,その休暇後には通常のように(睡眠時間を削る等のやりくりをすれば)業務をリカバリーできると思っていたのです。そう,3週間で終わるはずがないのです。そもそも,育児(成長)に終わりはないのに!
当時のメールの内容を少しのぞいてみると,休暇中でも出社できるときは半日でも出社しようとしていたことがわかります。このことは当時のメールをみるまで忘れていましたが,いまみるとこれまでどおりの分量をなんとかリカバリーしようとしている,またはそれができると思っていたことがわかります。あるいは,そうしなければならないと思っていたのでしょう(当初は時短勤務も考えていなかったので)。当時実際に休暇中に半日出社したか否かはおぼえていなのですが,おそらく結局できなかったと思います。
私の大きな勘違い。それは育児の大変な期間を最初だけと考えていたことです。それと「手伝う」という謝った認識です。この勘違いに気づくことができたこと,この経験は忘れてはならないと思っています。それは,これからもこうした気づきがあると思うからです。考えが古かったり,差別的だったり,思い込みだったりする認識や考えが無意識に自分の中に根付いていることがまだあると思います。それに気づかされることに直面した場合に,感情的になったりせずに素直に受け止められるよう,この経験が感情のブレーキになってくれればと思います。そこで感情的になることは,あとでとても後悔しますし,なによりもその場にそのときいる対象者を傷つけることになり,そうした傷を負わせてしまうようなことはしたくないと強く思います。
それと,ほかに課題だと思うのは,現状を変えずに精神論で乗り切ろうとする会社の体質です。現状の就業規則は,社員個人によって異なる家庭環境に配慮した内容になっておらず,かつての古い考え方にもとづいた内容のままになっていると思います。それを変える必要があると声をあげても響かないどころか,楽をしたいだけと思われている節があり,お互いの想いの乖離に打ちひしがれます。この壁は当初想像していたよりも高く厚く,いまの私のメンタルでは本当に悔しいですが,太刀打ちできないのが現状です。こうした体質は,労働環境や会社を運営するうえでの考え方にも大きく影響を及ぼすと思います。つまり,同じように,現状を変えず,精神論で乗り切ろうと。これは一企業にかぎったことではなく,社会にもいえることではないかと考え込んだりします。一企業ではどうすることもできず,社会に倣っているだけなのだと。
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